自己肯定感とは言いますが
ここ数年「自尊感情」や「自己肯定感」と言う言葉を耳にする機会が増えました。「自己肯定感をはぐくむ」とか「自己肯定感が低い・高い」などと使われる事が多いでしょう。
さて、そもそも“自己肯定感”とは何なのでしょうか?特に日本人には分かりにくい感覚だとも言われています。自己肯定感について考えていくと私はいつも、ならば自分を好きなら良いのか?自信満々ならいいのか?自分を戒めることは間違いなのか?悩むことは無駄なのか?そんな考えが浮かびます。時には混乱したり、自分では分かっていると思っていたことすらも、分からなくなってしまったりしてしまいます。
時には自己肯定感を高める関わりのひとつとして「ありのままのあなたでいいのよ。」と言う言葉がけをすすめられることもあります。「なるほど!」と思う反面、“ありのままの自分”を理解していない自分に出会うこともあります。
例えば私の場合、今の自分”は幼い頃の自分とは変わってしまっています。そして例えば“親という自分”“職員という自分”“子という自分”そんな色々な自分を使い分けている“自分”がいます。どの自分のことも嫌いではないのですが、満足はしていません。正しいとも思っていないのですが、それなりの信念は持っています。
私の自己肯定感は高いのか?低いのか?おそらく「あなたみたいになりたいなぁ。」と思ってくれている人の予測よりは低いと思います。そして「あなた!よくアレで平気ねぇ。」と思っておられる方の予測よりは高いでしょう。
私はこういう人間である。直したいところはあるけれど、自信のあるところもある。直したいところばかりを卑屈に語らないし、自信のあるところばかりを声高に自慢しない。出来ることはやるし、手を抜く時もある。出来ないことはやらないけれど、チャレンジする時もある。そんな自分を嫌いだと思うこともあるけれど、価値がないとまでは思わない。本音を言えば好きだったりもする。なんだかんだいっても私は私で良かったな。とも思うし、もうちょっとこうだったらな。
自己子肯定感とは、これで充分なのだと思います。
自分大好き!が自己肯定感が高く、どうせ私は…は低いと捉えるのは焦燥なのではないのかと私は思っています。
執筆 株式会社FOKUA 産業カウンセラー 武浩美