日本のコミュニケーション

 すっかりマスクが日常のアイテムになりました。マスクを外すことへのアナウンスもされ始める中、感染予防とは関係なくマスクを外したくないという人も少なくはありません。

 元々、日本人は高コンテクト文化の国です。〝空気を読む″〝愛想笑い″のような言語による意志の伝達の他に言語以外のもの(表情や話の流れ・同一思想に違いないという思い込み)に頼ったコミニケーション文化のある国です。
多様性が語られるようになった今でも「ふつう分かるでしょ?」という言葉はあちらこちらで飛び交っていることでしょう。この「ふつう」という考え方。実は非常に人を悩ませています。

 例えば私を含め数人で話をしている時、1人がその輪の中にいない誰かの陰口を言ったとします。正直私はその人が何に腹を立てているのかわかりません。ですが私は空気を読んで頷いてしまいます。私たちが頷けばその人は「やっぱり」と言わんばかりに陰口を続けます。私はますます何を言っているのかわかりませんが、頷き続けます。一通り陰口を言い終わるとその人は「ふつう分かりそうなのに…まったく!」と話を締めくくります。
その輪がバラけた後私が別の人に「結局何に腹を立てていたの?」と聞くと「分からない」と返事が返ってくることが少なくありません。話の途中に「何に腹を立てているの?」「ふつうならどうするはずだと思っているの?」と聞ければ良いのですが、私もまだまだ未熟なもので仕事でない場合空気を読んでしまいます。

 空気を読むのと同様に、愛想笑いでその場をやり過ごすのも日本人の特徴です。愛想笑いはイエスもノーも表現する不思議な表情です。そしてたいてい愛想笑いは口元が先に動いたり、口元だけで表現することが多いものです。
マスク前まで愛想笑いでコミュニケーションを賄ってきた方は、マスク生活によりコミュニケーションがうまくいかなくなったと感じている人も多いでしょう。

 コミュニケーションがうまくいかなくなることで、孤独を感じてしまう方もいることでしょう。複雑なコミュニケーション文化から抜け出すことは、日本の精神衛生にとって重要なことではないかと思うのです。

   執筆 株式会社FOKUA 産業カウンセラー 武 浩美

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